「パパとあのことかわいいあのこ」


「悠人、夏休みはどうしようか」
「もちろん、みんなで旅行だよ。ねー、真琴くん」
「ねー、おーさん」
 仲よしコンビの大神悠人、そして可愛くて可愛くて天使としか思えない我が甥っ子、真琴が笑顔で頷き合っているのを見て、テーブルの向かいに座る関遼一は苦笑してしまう。
 夏の陽射しがまぶしい八月最初の土曜、いつもより一時間ほどゆっくり眠って元気いっぱいの真琴と遼一、そして超がつくほど忙しい人気漫画家の大神は二時間遅れぐらいでベッドにすべり込んできて熟睡したのだろう。顔色もいいし、美味しそうに遼一が作った朝ごはんを食べている。今朝のメニューは、真琴のリクエストであるパンケーキに蜂蜜とバター。カリカリのベーコンも添えて、サラダもガラス製のボウルに綺麗に盛り付けた。子ども向けのメニューは、見た目がとても大事だ。栄養はもちろんだが、可愛かったり、綺麗だったりするお皿に子どもは喜んでくれ、いつもより多く食べてくれるものだ。真琴は四歳にしては小柄なので、いっぱい食べてほしい。いまのままでも十分キュンとしてしまうけど。
 ちょっと真琴寄りになってしまったかなと内心反省している遼一の前で、大神はにこにこしながらパンケーキを口に運んでいる。今日の彼は爽やかな白いTシャツに、ゆるめの麻のパンツを合わせている。もともと男らしい顔立ちだし、デスクワークが長いわりには姿勢もいい。足なんか遼一よりずっと長い。『もっと決めちゃってもいいのに』と言うと、『なんか恥ずかしいし』と照れたような笑みが返ってきて、深い恋ごころを確認した。
 そんな恋人の横にいる真琴はくまのアップリケがついた赤のTシャツに青いショートパンツだ。子どもはこれぐらいメリハリのついた色味が似合う。真琴は面差しがやさしいので、もっと髪を伸ばしたら女の子に間違われそうだ。ちいさないまのうちに、いろんな格好をさせるのもきっと楽しい。
「遼一の料理はほんとうに美味しい。このパンケーキもふわふわだし、ベーコンもじゅわっと味が染み出る。美味しいねー、真琴くん」
「ねー」
 また頷き合っているふたりに、思わず笑い出してしまった。胸のポケット部分だけ白のドットが散っている紺地のTシャツと七分丈のパンツを穿いた遼一は、みずみずしいトマトを口に放り込んで美味しく噛み締める。甘酸っぱい、夏の味だ。
「旅行、どこに行く? 悠人が忙しいだろうから、近場でどうかな。どれぐらい休めそう?」
「ん、んー……頑張って、二日……かな」
「ありがとう。それで十分だよ。一泊二日、みんなと一緒にいられたら嬉しいな。真琴はどこか行きたいところ、ある?」
「うみ!」
「海?」
 目をきらきらさせる真琴に、大神は切り分けたパンケーキを口に運ぶ。それから、真琴のくちびるの脇についた蜂蜜を指で拭ってぺろりと舐めている。その仕草は、まるでほんとうの父親のようだから、胸が温かくなってしまう。
 僕はいいひとに愛してもらえたんだな。
 よかった、と胸の裡で呟く。自分だけではない、真琴にとっても大神のもとで庇護してもらえることはなによりもの安心に繋がっているのだろう。その証拠に、真琴はこころからの笑みを浮かべ、隣に腰掛けている大神に身体を擦り寄せるようにしている。あんな仕草、よほどこころを許した相手にしかしない。大神も、キッズチェアに座った真琴が誤って転げ落ちないよう、よく見てくれている。
「じゃあ、海に行こうか。次の土曜と日曜はどうかな、悠人」
「大丈夫。絶対大丈夫。なんとかするから任せて」
「ふふっ、ちょっと心配してしまう」
 おおかた食べ終えたみんなの皿を集め、遼一は食後のカルピスを三名分入れて渡した。
「やったーかるぴすー」
「美味しいよね、これ。あなたたちと一緒に暮らすようになって、思い出した味だよ」
「夏になると飲みたくなるんだよね。こら真琴、そんなに急がなくてもいいんだよ。ゆっくり飲んで。保育園は今日はお休みなんだし」
「あ、おやすみ。じゃ、じゃ、おーさんあそんでくれる?」
「いいよー、もちろん。お外に出るならいまのうちだよ。午後はもっと暑いし」
「こうえん、いきたい」
「オッケー。遼一はどうする?」
 ストローでグラスの氷をカラコロ回す大神に、「んー」と考えてから、皿を持ち上げる。
「僕は、旅行のことを煮詰めちゃおうかな。洗濯もしたいし。真琴を頼んでもいい?」
「もちろん。だったら、遼一に旅行のことを全面的に任せちゃおう。お願いするよ」
「任せて」
 嬉しそうに頷く大神は、この自分にベタ惚れなのだ。そう思うとどこか照れくさくて、やっぱりしあわせで、頬がゆるむ。
「そろそろ、真琴に俺のことをパパって呼んでもらおうかな」
 最近の大神は真琴を愛しすぎるあまり、「パパ」と呼んでほしくてたまらないらしい。
「ぱぱ? ……おーさんは、おーさん」
 澄ました顔の真琴がなんとも可笑しい。
「じゃあ、僕は?」
 テーブル越しに身を乗り出すと、真琴がにっこり笑う。
「りょういち」
「うん、いい発音。真琴偉いねえ」
「やったー」
「うう、俺は諦めないよ」
 奮闘を新たに誓う大神に内心苦笑し、遼一は手を伸ばして大神の少し硬めのくせ毛をやさしく撫でたあと、真琴の柔らかな栗色の髪を指で梳く。パパと呼ばれなくても大丈夫、大神はいいお父さんだ。大神がまぶしそうな顔で、頭を擦り寄せてくる。
 大きな獣と、その子ども。雄々しくて、可愛くて、頼もしくて、未来のあるふたり。そんな彼らのそばにずっといさせてほしい。
 遼一はとびきりの笑顔をふたりに向けた。
「お外、行ってらっしゃい」



 さて、一泊二日でどこに行こう。海というリクエストを受けているから、千葉かはたまた静岡方面か。
 洗濯機に三人分の洗濯物を放り込んでスイッチを押したあと、遼一はリビングのソファに座ってタブレット式デバイスを弄っていた。これは先月、大神がプレゼントしてくれたものだ。誕生日でもないのにそんな、と一度は固辞したのだが、『よく頑張ってるし、ボーナスだよ』と言われた。いや、ボーナスはべつにもらっているし、食事だって連れていってもらった。
『普段の生活の中でこれがあったら助かることもあるだろうし。そんなに高くないものだからもらって?』
 大神らしいやさしい笑顔で請われたら、いいえ、なんて言えない。
『ありがとうございます。大事にしますね』
 しあわせにしてもらえている事実を胸に刻んだタブレットで、「海 静岡」と入力して検索をかけてみる。
 ずらりとヒットしたが、「静岡 熱海 花火大会」という一文遼一の目に飛び込んできた。
「熱海かぁ……」
 熱海なら、東京駅から新幹線ですぐ行けるだろう。なんとなく昭和のイメージの町だが、ちいさな真琴から見たら物珍しく映るかもしれない。
 それに、海もある。山も、温泉も。ちょっと行けば伊東や箱根だ。
「熱海城? こんなのもあるんだ」
 史実の中に熱海城というのは存在していないはずだから、これはいわゆるお城の形をしたテーマパークだ。それもなんだか楽しい。近いようでいて、ちょっと遠いところにある熱海。さらに検索をかけてみると、ごはんも美味しそうだ。
「うん、ここにきーめた」
 次に、子どもが楽しめそうな宿探しだ。古めかしい旅館もいいし、おしゃれなホテルも捨てがたい。
 熱海港の前にあるというホテルを調べていると、今度の週末、花火大会があるようだ。そして、運のいいことに、オーシャンビューの部屋が一室だけ空いていた。これなら、もしなにかあって部屋にいることになっても花火が楽しめる。子ども連れは不測の事態に備えることが大切だ。
 すぐさまオンラインで部屋を予約。それから急いで必要な物をリストアップした。無職の遼一と幼子の真琴が大神のもとに身を寄せてから、できるかぎり無用な物は買わないようにしていた。そうでなくても、初めての恋に浮き立つ大神があれこれとふたりに贈り物をしてくれ、嬉しさと申し訳なさが募るのだ。遼一はこのデバイス、真琴は昨日、大好きなくまのぬいぐるみをもらって大はしゃぎしていた。
『家族にしてもらえたお礼だよ』
 大神はそう言ってくれるけれど、あまり負担はかけたくない。この旅行だって、大神持ちなのだし。前に住んでいたアパートからこの部屋に越してきたとき、使えるものはきちんと持ってきた。どんどん大きくなる真琴の服は買い換えるにしても、リーズナブルに済ませようと思えばいくらでも方法はある。近所の公園で開かれたフリーマーケットにみんなで行き、お祭り気分を楽しみながら、まだ綺麗な子ども服をリサイクルとして安価に譲ってもらうことができた。遼一が今日穿いている七分丈のパンツもそう。サイズが変わってしまったという男性から譲ってもらい、おまけにもう一枚プレゼントされてほくほく顔で大神のところに戻ったら、『遼一が可愛いから目が離せないよ……』とため息交じりに言われて頬が熱くなったものだ。どうも、相手の男が色気を出したと勘違いしたらしい。違う違うと何度否定しても、『だってプレゼントされてるし』と拗ねられたので、最後には笑ってしまい、真琴を真ん中にして手を繋ぎ、みんなでアイスクリームを食べに行ったのだった。
 そういうわけで、必要以上のお金を使わずとも楽しく過ごせることを大神にも伝えたい。もちろん、彼には彼のポリシーがあるだろうから、無理強いはできないが。


 ネットショッピングで子どもようの浮き輪、大人用の浮き輪もひとつ買う。現地調達もいいが、やっぱり高いのだ。水着もそれぞれの身長に合わせて、大神は青のハーフタイプ、真琴はイメージカラーの赤、遼一はちょっと派手目に黄色にした。
「まるで信号機だな」
 思わず笑ってしまう。でも、これぐらい派手なら、はぐれることもないだろう。すべて明日の配達にしてもらい、そういえばボストンバッグも出さなければと考える。急いで虫干ししよう。引っ越してくるときに使った黒のボストンバッグがある。
 あとはなんだろう。見落としていることはないか。ソファにのけぞり、天井を見つめる。
 クリーム色で、どこにもシミひとつない綺麗な天井。豊かな暮らしの象徴だ。
 ほんとうにしあわせなんだな。
 そっと瞼を閉じて、胸に手を当てる。
 今日という日を忘れないようにしよう。愛する大神と真琴と三人で旅行に行くと決めた日だ。絶対楽しいものになるに違いない。わくわくしすぎるあまり、なにをしていいかわからないぐらいだ。
 とにかく、ぎゅっと拳を作って天井に突き上げ、「やった!」とちいさく叫んだところに、「たっだいまー!」「ただいま」とふたつの声が返ってきた。
「おかえり!」
「なにがやったなの?」
 喜びの声が彼らにも届いていたらしい。公園で遊んできた大神と真琴が笑顔でリビングに入ってくる。
「おかえりなさい。外、暑かったでしょう。なにか飲む?」
「かるぴすー」
「いいね、カルピス飲もう」
 額の汗を拭う大神が真琴の髪をくしゃくしゃと撫で、遼一に微笑みかける。
「めちゃくちゃいい顔してる。どうしたの?」
「旅行の計画を立てていたらなんか盛り上がっちゃって。あのね、熱海に決めた」
「あたみ?」
 大人の会話に挟まりたくて仕方ないお年頃の真琴が、「ねえねえ」と大神のパンツを引っ張っている。そんな甥っ子と恋人に計画を打ち明けるため、遼一は急いでカルピスを入れるためキッチンに駆け込んだ。



 真琴にとって初めての新幹線は、それはもう胸躍るものだったらしい。始終はしゃぎ、車内販売が来たときには目を輝かせていた。
 東京からこだまで約一時間半。うきうきの熱海駅に着いたあとは、タクシーでホテルに向かってもらった。
「うみー! ね、ね、うみみえる」
「ほんとだぁ。海だね」
 タクシーの中からも、きらきらした海が見え始めて、みんなして「あ、あれ見て」「こっちもこっちも」と声を上げてしまう。その賑やかさにはタクシーの運転手も笑い出したほどだ。
「お客さん、東京から?」
「そうです。今日の花火大会を見ようと思って」
「熱海の花火はいいよぉ。数は少ないけど、迫力がある。ぼっちゃん、楽しんでいってね。海では気をつけてな」
「うん」
 信号待ちの間話しかけられた真琴は律儀に返事をし、隣にいる遼一の手をきゅっと握り締めてきた。まだ少し、よその大人のひとには硬くなるが、「ほてる、あとどれぐらい?」「あと五分ぐらいだね」という会話を聞いてほっとする。真琴は少しずつ大きくなっていくのだ。
 目的のホテルに着き、白の清潔な制服を身に着けたドアマンが笑顔で扉を開け、中で控えていたホテルマンが「いらっしゃいませ。お荷物をお持ちいたします」と近づいてくる。そんなことにも真琴は釘付けだ。
「あの……」
「はい」
 めずらしく、真琴のほうから大人のホテルマンに話しかけている。相手も子どもには慣れているのか、同じ目線になるようしゃがんでくれた。
「なんで、……にもつもつの?」
「きみたちにこのホテルで楽しく過ごしてもらいたいから、少しでもお手伝いしたいんだ。お手伝いってわかる?」
「わかる! あのねぇ、まこと、おさらふくのすき。いっぱいはできないけど……わっちゃうから。でもまいにちやるよ」
「そうなんだ! 偉いなぁ。お父さんたちを助けてあげてね」
「うん!」
 元気よく返事する真琴のうしろで、大神は腕組みをし、「うーん、お父さんって呼ばれるのもいいな」とぶつぶつ言っている。
「僕がお父さんでいいよ。で、悠人はパパ」
「パパとお父さんのいる家? なんだか楽しいね」
 言い合いながら、ボストンバッグをホテルマンに預け、天井が高いロビーへと向かう。そこで宿泊手続きを取り、先ほどのホテルマンに部屋に連れていってもらった。マオカラーの紺のジャケットを主役にして赤のラインが襟元に入り、白いシャツ、白い手袋が清潔な印象を与える。最近、制服に憧れてしまう真琴はもうホテルマンに夢中で、隣をとことこ歩いている。
「お部屋はこちらです。花火が見えるお部屋ですから、ぜひご堪能ください」
 エレベーターを七階で降り、廊下の突き当たりの今夜の部屋があった。爽やかなイエローとグリーンの花柄の壁紙が明るい。ベッドは大きくて二台あるし、ソファもみんなで座れそうだ。このほかに、バスルームとクローゼットがある。典型的なファミリータイプの部屋で、居心地がいい。
「スイートじゃなくてよかったの?」
 言うと思った。耳元で囁くパートナーに笑いかけ、「このほうがみんなを近くに感じられるし」と言うと、「そうだね」と大神もご機嫌だ。
「わぁ、うみ!」
「今日だったら泳げますよ」
 はめ殺しの窓に駆けていく真琴は大はしゃぎだ。青空の下、飛沫を立てる海が広がっている。沖縄のように真っ青な海とはいかないが、これはこれでいい。すぐ遊びに行けそうな距離だ。
「お食事はどうなさいますか? レストランでも、お部屋でも食べられますが」
「真琴、どうする?」
「れすとらん!」
 窓際のソファによじ登る四歳児の全力の笑顔に、大人三人思わず笑ってしまった。
「それではお荷物はこちらに置いておきますね。どうぞ、ごゆっくりおくつろぎください……ん?」
 頭を下げて去ろうとしていたホテルマンに、真琴が急いでソファを飛び降り、駆け寄る。それから、ちいさな手をおずおずと差し出した。ホテルマンは目を丸くしていたが、子どもの願いを聞き届けてくれたらしい。手袋をはめた手を差し出し、きゅっと握り締めてくれた。
「なにかあったらいつでも呼んでね」
「……うん!」
 ホテルマンが出ていっても興奮状態の真琴は、「あのねあのね」と遼一の足に抱きついてくる。
「まこと、おおきくなったら、ほてるのひとになる」
「おおー、いいね。さっきの制服格好良かったもんね。真琴、絶対似合うよ」
「えへへ」
「じゃあ、ちょっと室内で写真を撮って休んだあとは、みんなで着替えて海に出ようか。夕食までは時間があるし」
「はーい!」
「いいお返事だ」
 手を挙げている真琴を抱き上げ、大神は口元をほころばせながら頬を擦り寄せた。



 真琴にとっての初めての海は、あまりにも楽しくて、冒険がいっぱいだったようだ。ビーチにマットを敷いて日焼け止めを塗ってあげたあと、浮き輪を抱えて大神と波打ち際に走っていった。そんなふたりを遼一はスマートフォンのカメラで何枚も撮り、ついでに頭上に広がる青空も撮った。こんなに満たされた日々はいつ以来だろう。なんの悩みもない子どもの頃以来かもしれない。そう考えると、やっぱり真琴はしあわせにしたい。たくさん楽しい想い出を作ってあげたい。
 けれど、当の真琴ははしゃぎすぎたせいか、夕食の頃にはもう眠そうにこくっと頭を傾げていた。大神とふたり目を合わせて笑い、花火はどうしようかと話し合った。ホテル内にあるフレンチのレストランはそこそこ混んでいる。みな、これからの花火大会に備えているのだろう。
「砂浜に行って見てみたかったけど、部屋からでも大丈夫だし。真琴くんが起きたら見られるしね」
「そうだね。……ありがとう、悠人。僕たち、あなたのおかげで……とてもしあわせなんだ。押しかけたことをいまさらながらに恥ずかしく思ってる。図々しかったなって……」
 テーブルの中央に置かれたキャンドル越しに大きな手が伸びてきて、遼一の手をやさしく掴む。
「もっと頼って、遼一。俺こそ、真琴くんとあなたを愛させてもらえて、家族の一員にしてもらえて、嬉しいんだよ。望んでもできることじゃない。だから、気に病まないで。もっともっと俺にすがって、しがみついて、なんでも言って。どんなことでも全力で叶えるから、大丈夫」
「悠人」
 愛の言葉にもふさわしい温かい声に、涙が滲んでしまう。だけど、ここで泣くのはぐっと堪え、自分からも大神の手を握る。


「……頑張る。僕ももっと頑張るから」
「うん、お互いに、こんなふうに遊べる時間を作れるようにほどほどにね」
「そうだね」
 お互い微笑み、子ども椅子の真琴がぐっすり眠っているのを確認したら、急いで料理を食べ終えて部屋に戻った。
 涼しくて居心地のいい部屋で花火を見るなんて贅沢だ。
 真琴はいったんベッドに寝かせ、洗面所で手を洗っていると、大神が顔をのぞかせた。
「ねえ、遼一。我が儘言っていい?」
 言いながら大神がうしろから覆い被さり、腰に手を回してくる。
「どうぞどうぞ」
「ここであなたとエッチしたい」
「な……っ」
 直裁的な言葉に胸が跳ねてしまう。大神が言うこことは、バスルームのことだろう。
「あ、あの、でも……」
「真琴くんはもうしばらくぐっすり眠ってる。声を出さなければ大丈夫。もし泣いたときにすぐ気づけるよう、扉を少し開けておいて……だめ?」
 だめと言いたいが、抱き竦められている状態では言いにくい。そうではなくても、ここしばらく忙しくて、身体を重ねていなかったのだ。同じベッドに眠っているのだし、真琴もいて、穏やかに満たされていると思っていた。
 だが、本能の部分で大神が欲しい。遼一に出会うまでは正真正銘の童貞だった大神だが、一緒に暮らすうちにずいぶんとレベルアップし、誘い文句も上手になった。
「……もう、ずるい。そんなふうに言われたら……断れない」
「だよね。俺も一撃必殺の台詞かなと思った」
「さすが人気漫画家さん」
 くすっと笑い、大神の鼻先に軽くくちづけた。それから目と目を合わせ、その奥にある感情を探り出そうと試みてみる。大神の温かな瞳には、尽きぬ愛情と、飢えるような欲情。そのふたつはきっと自分の目にも浮かんでいるはずだ。息を吸い込もうくちびるを開いた矢先に、大神が待ちきれないようにくちびるをぶつけてきた。
「……っ、ん、…ん、」
 昨日も一昨日もキスしたのに、どうしてこんなに欲しいのだろう。昂っているのか、大神はくちびるにぎりっと噛み付いてきて、「――ん」と遼一が喘ぐと、慌てて「ごめん」と呟いてそっと重ねてきた。
「……ごめんね、痛かった? 俺、あなたが欲しくて止まらないみたいだ」
「ううん、僕だって、……欲しい。だから……して……?」
 恥ずかしさも募って思わず彼の胸にしがみつき、上目遣いになってしまう。う、と短く呻いた大神がもう一度くちびるをふさいでくる。今度は、強く。
「――っん、……」
 くちゅり、と舌がすべりこんできて、甘く、ずるく先端を吸ってくる。うずうずと擦れ合うのがたまらなく気持ちいい。温かな唾液を互いに絡め合わせながら、口内を探り合うのが遼一は好きだ。大神とひとつになっていく陶酔感が身体に火を灯し、下肢にも軽く疼きが走る。
「……ぁっ……」
 あまり声を上げられないから、必死にキスを続けた。そんな遼一をいとおしげに見つめてくる大神が、「こっち向いて」と囁き、腰を掴んでくる。
 ホテルの洗面所だから結構広い。それに明るいし、壁面は鏡張りだ。これからどうなるのかわかるようでいて、わからない。そのことが遼一の胸を浮き立たせる。先がわからないというのは怖いことでしかなかったはずなのに、大神と愛し合うようになったいま、ちょっとの不安もいいスパイスだ。
 調子いいなと少し笑ったけれど、大きな手がTシャツを大胆にまくり上げてきて、ほのかに色づく乳首をつまむ。
「あ……」
 尖りの根本をくりくりと揉まれると、我慢していても声が漏れてしまう。そこは、とても弱いのだ。熱の溜まる芯をじっくりと指でよじられ、先端に向かって擦り合わせられて最後に弾かれると、びくんと腰が震えるほどに感じてしまい、遼一は思わず鏡に手をついた。
「や、っだ……ゆうと、……そこ、だめだって……」
「なんで? 俺は遼一のここ、大好きだよ。こんなにちっちゃいのにいやらしく尖っちゃって、俺に弄ってほしがってる。――噛まれるのも、いいんだよね?」
 背中に身体を押しつけてくる大神にうしろから耳殻を食まれて、「――ん、」と声を詰まらせた。この間まで童貞だったのに、どうしてこんなに巧みになったのだろう。
「……もう、……悠人、いつの間にか……すごい、大胆」
「おかげさまで。遼一を徹底的に愛したくて自分なりの研究を突き詰めた結果、こうなった」
「……研究?」
 目を瞠ると、鏡の中で視線が合う。そのとき、初めて自分がはしたない格好をしていることに気づいた。Tシャツをまくられて、男なのに乳首を揉まれて喘いでしまっている。赤く尖りきった実はふくらみ、ちいさくても敏感な性感帯のひとつとして主張している。頬も朱に染まり、両目は背後の男がなにをしてくれるのかと期待を孕んでいっそ淫猥だ。自分がまさかそんなに淫らな顔をしているとは思わずにうつむこうとすると、「――だめ」と大神が顎を指で押し上げてくる。


「ちゃんと見て。俺はこんなにもあなたを愛してるんだよ。いまだって床に押し倒して身体中に歯形をつけたいぐらいだよ。噛んで噛んで、噛みまくって、あなたが泣いたらやさしくあやして突き挿れたい。そしたら、思いきり揺さぶってあげるよ。声が嗄れるまで俺を味わってもらって、ぎりぎりまで引き抜いてひくひくする遼一のあそこを味わったら、今度はうしろ向きにしてねじ込む。俺の……大きいでしょ? うしろからしてあげるとたぶんそれがより伝わると思う。遼一の綺麗な背中を見ながら突きまくったら、最後は――」
「だめ! ……もう、だめだよ、続きは……」
 熱っぽい言葉に雁字搦めにされ、おかしくなりそうだ。大神に射竦められているから、余計にだろう。
「だめ、だよ……僕の身体で、……続き、してくれなきゃ……」
 鏡に両手をつき、はっ、と短く息を吐きながらなんとか背後の大神と視線を絡めると、ひどく嬉しそうに微笑まれた。
「そうだね。……遼一の身体で味わわせて」
「ん……」
 頬にくちづけてくる大神が、今度は下肢に手を滑らせてくる。もう硬く張り詰めたそこを隠し通すのは難しいから、遼一は羞恥を覚えながらも彼の手でジーンズを脱がしてもらう。下着の上からでもくっきりと形を浮かび上がらせるペニスに大神が手を這わせてきたとき、目縁が熱くなるほどの快感が浮かび上がってきた。
「遼一のここは、俺の手が好きみたい。だってこんなにがちがちだもんね。脱がしていい?」
「……いい、けど、……それ、ちょっと恥ずかしい……」
「それってなに?」
 鏡の中で大神が不思議そうな顔をしている。う、と言葉に詰まりながらも、「……なんか、いちいち聞くところ……!」と呟くと、「ああ」大神が口元をほころばせた。
「俺に、勃起してるところを見られると恥ずかしいんだ?」
「恥ずかしい……!」
 もういちいち聞くなとなじりたい。だけど、乳首は芯からじんじんとして疼いているし、大神の手のひらに包まれた肉竿だって先からとろりとしずくを垂らしている。射精とは違い、透明なそれは先走りにしては多めで、たっぷりと彼の手を濡らしてしまうのが恥ずかしくてしょうがない。腰をよじってもがいたのだが、逆に大神に弄りやすくしてしまうだけだ。
「……ぁっ、あ、……だめ、や、や……!」
「遼一のペニス……熱いよ。いまにも射精しちゃいそうだ」
 言いながら大神はぬちゅぬちゅと遼一の性器をもてあそび、それだけでは物足りないのか、竿を扱きながら、その奥にある双玉もやわやわと揉み込んでくる。乳首以上に感じやすいそこを愛撫された刺激がびりっと全身を走り抜け、遼一は力なく鏡に爪を立てながら一気に昇り詰めた。
「あぁ、っ、イっちゃ、う、悠人、……ゆうと、ぉ……っイく……!」
「ん。いい顔だ」
 鏡の中で微笑まれて、遼一は夢中で熱をどくんと放ち、鏡を白く汚す。根元から先端にかけて親指で竿の筋を扱かれるたびに目眩がしそうなほどの絶頂感が襲いかかってきて、足下がふらつく。あ、あ、と何度声を出してもまだこみ上げてくる熱は精路を焼き、つらいほどだ。
 達した。鏡を見ながら、おのれの痴態を見ながら射精してしまった。なのに、まだ欲しい。まだというより、もっと欲しい。この身体は大神に貫かれて初めてほんとうに熱くなるのだ。
「どうしよ、……」
「遼一?」
 大神のほうも息が弾んでいる。遼一の耳にかかる髪をかき上げ、敏感な首筋にちゅ、ちゅ、とくちづけてくる男がいとおしいから、遼一は鏡の中の彼を指でなぞる。とくに、その張り出した腰を。
「……ごめん、僕……、僕ね、……悠人が、……欲しい」
「……ほんとうに?」
「欲しい」
 今度は目と目を合わせて呟いた。
「お願いだから、……挿れて。立ったままでいいから、うしろから来て、いっぱい……突いてくれる……? ……ッぁ、……!」
 肩にがぶりと噛みつかれて甘い痛みに呻くと、背後の大神は怖いほどに真剣な顔を寄せてきて、「俺のほうこそおかしくなる」と飢えた声で囁いてくる。もどかしそうに服を脱ぎ、下着を落として、遼一の手を掴んでうしろに回させた。
「触ってみて」
「……っあ、なんか……いつもより、おお、きい……」
「ね? 俺はこんなにもあなたを欲しがってるってこと。……もう、可愛くてたまんないよ遼一……どうしてここまで可愛いかなぁ……」
 耳元で囁きながら、大神は洗面台にあるアメニティグッズの中からとろみのあるローションを選んで手のひらにまぶし、ついで遼一の窄まりにも丹念に塗り込む。
「あ……っ……」
「……昨日もしてるから、柔らかいね。すごくいいよ遼一。俺のための身体だって感じ」
「そう、……だよ。この身体は悠人だけのものなんだから。……離さないで」
「あたりまえ」
 せつなく呟き、入口を解した大神がぬくりと指を挿し込んできた。
「ッ、ぁ――……!」
 長い指がぐるりと中をかき回して拡げていき、昨日も散々大神の肉棒で擦ってもらった上壁のふっくらした場所を探り当ててくる。
「……ン、――ん、ぁ、っあ、あぁ、っそこ……!」
「……いい?」
「いい、すごく、……いい、溶けちゃい、……そ……」
 がくがくと腰を震わせて感じる身体を背後から縫い止め、大神は遼一の細腰を突き出させたあと、ゆっくりと肉塊をあてがってくる。
「挿れさせて」
「――ぁ……!」
 大きなものが、彫り拡げてくる。
 中を。肉襞をじくじくと擦り、疼かせ、ゆっくりと蕩かせながら、最奥まで。
 張り出した亀頭がぎゅっと締まる入口をきつく擦りながら挿ってきたとき、あまりの快感に耐えきれず遼一は再び立ったまま射精してしまった。
「……やだぁ……あっ、あぁ、っん、ん――……っ」
 いまや感じすぎて涙がぼろぼろこぼれ、喉をひくつかせるたびに内側がきゅんと締まり、大神を引き留めてしまう。引き裂かれそうなほどの大きなものなのに、それがないと、いまの遼一はもうイけない。射精もできないし、ドライオーガズムもできない。何度も射精し尽くした先に待っている熱く乾いた快感を、この身体は知っている。大神は勉強熱心だからさまざまな愛撫を受け止め、火照らされてきた。彼のためだけに拓く身体だ。今夜だって。


 大神がだんだんと激しく腰を遣い、ぬくっと男根に挿し貫かれる悦びにうち震え、啜り泣いて遼一は応える。ぎりぎりまで沸騰した身体は、目の前にあるドライオーガズムを求めていた。ひとたびそれを味わえば途方もない疲労感をあとで味わうことになるのだけれど、前だけの快感に加えて、うしろでも感じる絶頂はきわどいまでに強く、到底逃れることはできない。
 遼一も息を切らして、大神に動きを合わせる。打ち込む強さ、飲み込む狂おしさをふたりで分け合い、肩越しにいやらしく舌を絡め合わせて乳首を揉まれてしまえば、もう耐えられない。
「あ、あっ、あ、イく、だめ、だめ、またイっちゃう、おねがい、――一緒、がいい……」
「もちろん、あなたと一緒。中に出してあげるね。……遼一の奥に、いーっぱい射精、してあげる」
「あ――……っ!」
「っく、……」
 耳たぶをぎりりと大神に強く噛まれた瞬間、鏡の中の彼にくちづけながら、遼一はひときわ深みのある快感に包まれて、声もなくして極みに達した。
 もう、精液はあまり出ない。とろとろと先端の孔から噴きこぼれるだけだけれど、アナルは淫らにひくついて大神を食い締め、浅ましくその強さを味わうかのようだ。ほぼ同時に大神も遼一の最奥にめがけてびゅくっと大量の精液をかけ、しとどに濡らして出し挿れを繰り返す。
「あっ、あ、――……ァ……」
「……どうしよう、よすぎだよ遼一……」
 イったばかりの敏感な身体を触られると、何度も快感が弾ける。気持ちいい。このまま床に倒れ込んで、お互い獣のように貪り合いたいぐらいにすごくいい。
 もっと欲して、もっと奪い合う。
 互いに肩越しにくちびるを寄せ合ったときだった。
 ドーン、と大きな音が聞こえてくる。
「あ……」
「……あ」
 これは、もしかして。花火の音ではないだろうか。
 またも、ドーン、ドーンと音が揺れながら聞こえてきた。
 そののどかな感じにお互い顔を見合わせ、ふふ、と笑ってしまった。時間も忘れて求め合ってしまった。さっき夕食を食べたばかりなのに、もう腹が減っているし。
「花火、だね」
「うん。花火だ。……ここは一時休戦にして、真琴くんが起きていたら一緒に見ようか」
 そうしよう、と頷きながらも、最後に一度だけ、なにかこころに残るようなことがしたくて――まだ今夜という時間に艶やかな色を残したいから、遼一はあれこれと思い巡らせた末に、鏡にふうっと息を吹きかけて白くし、自分たちの顔に大きなハートを描いた。それから鏡に映る大神の顔にキスをし、いたずらっぽくウィンクする。


「悠人パパ、可愛い真琴の次でいいから、僕の虜でいて」
 大神は大きく目を瞠った次に、ふわっと笑って、遼一をやさしく包み込んでくる。そして、その屈託ない微笑みで、こう囁くのだ。
「いとおしい遼一パパも、可愛くて可愛くてたまらない真琴くんも、俺のもの。絶対にしあわせにするから――俺を選んで」
 それから互いに目を閉じてくちびるを重ね、扉の向こう、窓の向こう夜空に咲く花火を思い浮かべるのだ。