「愛のひと」(「学園へヴン」和啓)


 それまでずっと、友だちだと思っていた奴がある日いきなり遠い存在に感じられるようになるとしたら、たとえばどんなことがきっかけになるんだろう。
 自分とは考え方が違うというのは、最初から他人なんだから当たり前だ。
 でも、身分が違うからという理由で、友だちと自分のあいだに見えない壁を感じたといったら、みんな笑うだろうか?
 いま、俺はまさしくその立場を実感していた。ずっと親友で、大切な恋人でもある和希との身分の違いをまざまざと見せつけられて、ちょっとばかり茫然としていた。


「どうした、啓太。黙り込んで」
「……あ、いや……うん」
 歯切れ悪い俺に、和希は微笑みながら顔をのぞき込んでくる。
「喉、渇いたか? なにか飲むか?」
「え、あ、……ああ、そう、そうだな」
「待ってろ。いま来るから」
 和希が軽く指を鳴らすと、どこからともなくすっとウエイターが近寄ってくる。
 ブラックスーツ、ブラックタイでびしりと決めたその男は、どう見ても俺たちより年上だが、彼になにごとか命じる和希の態度は見事なものだ。まったく動じることなく、「カルヴァドスをふたつ持ってきてくれないか。啓太のぶんは少し弱めにしてやってくれ」と頼む声は堂に入っている。


 和希が身につけている折り目正しいピンタックの入ったシャツは上品な光沢があり、艶のあるタキシードとよく似合っている。少し身動きするたびに袖口から見えるのは、シルバーに精緻な彫りをほどこしたカフリンク。
 控えめなかがやきを放つそれと、ジャケットの胸ポケットを飾る銀の細い鎖は、どうやらおそろいのブランドらしい。細工が凝ってるもんな。
 鎖の先にはきっと、実用ながらも一級の芸術品に引けを取らないちいさな懐中時計がついているはずだ。
 そんな和希を横目で見ながら、俺はため息をつく。
 ほんとうに俺と和希って不釣り合いだよなあ。なにを好きこのんで、俺なんかを選んだんだか。
「さっきからため息ばかりついてるぞ。どうしたんだよ、今夜はやけにおとなしいな」
 組んだ膝を軽く持ち上げながら、和希は苦笑している。
 誰もが惹き付けられる端正な顔立ちは品のある甘さと男っぽさを兼ね備えていて、同性の俺まで、いい男だなあとうっとりしてしまうほどだ。


「……格好いいなと思ってさ」
「誰が?」
「和希が」
 ぽつりと呟いたとたん、ウエイターからグラスを受け取っていた和希がちいさく噴き出す。
 そして、クラッシュアイスがつまったグラスの縁から俺をまっすぐに射抜いてくる。その視線たるや、人前であることをまるきり無視したきわどいものだ。


「すごい殺し文句だな。俺はそういう啓太にやられっぱなしだよ」
「冗談で言ってるんじゃないって。……だってそうだろ、ここにいる誰よりも和希がいちばん格好いいじゃないか。若いくせに鈴菱グループのトップだし、おまけにタキシードが似合うなんて、なんかもうズルいとしか言えないよ」
 真面目に言っているつもりなのに、和希はますます可笑しそうに笑うだけだ。
 透明感のあるピンクのヴェルベッドに金糸の刺繍が丁寧になされたヨーロピアンスタイルのソファに浅く腰掛け、足を投げ出している姿はちょっと行儀の悪いものだが、理知的な顔立ちの和希がやると、たまらなく魅力的に見えるんだよな。
 パステルカラーというにはもっと重厚で、だけどこころ浮き立つ綺麗なピンクのソファに、しっとりした艶のあるタキシードがあざやかだ。
 まるで映画の一場面みたいだと思う。
 もちろん、和希が主役で、俺は観客のひとり。彼の洗練された仕草のひとつひとつをぼんやり見つめてしまって、笑われるんだ。


 いまも、飴色に染まったアームに肘をつき、和希は悪戯っぽい目で俺をのぞき込んでくる。
 一年のうち、三百六十四日は優等生の仮面をつけているくせに、たった一日だけ――いまのような一瞬にだけ――ふたりだけに感じ取れる時間に本性を現すんだ。
 そっと隠していた牙を見せるみたいにして。
「俺と一緒にいるのが楽しくない?」
「……そんなこと、ない。わかってるくせに聞くなよ」
「だよな。俺も啓太とこうしているときが人生でいちばん楽しい」
 軽く手を組み合わせ、和希は一語一語、噛み締めるようにして呟く。
 ゲー、と言う前に、耳が熱くなるのが自分でも参ってしまう。
 こういう台詞をすらっと言える男って、この地球上で和希のほかに、あとどれぐらいいるんだろう。俺としちゃ、ふんだんに愛を振りまく奴はこいつだけでもういい。精一杯だよ。


「ほら、曲が始まった。啓太も踊ってこいよ」
 吹き抜けの天井を見上げる和希につられて、俺も視線を斜め左に上向ける。部屋の中央にしつらえられた幅広い階段の最上段では、正装したオーケストラの団員たちが軽やかなダンスに似合う曲を奏で始めたところだ。
 ……企業のトップといえ、一個人の家で生オケが聴けるとは夢にも思ってなかったよ。その曲に合わせて踊り出すひとびとがいるなんてことも。
 ついでに言うなら、驚くべき光景を取り仕切る人物が自分の恋人だなんて、この場にいてもまだ信じられない。
「あそこで踊ってるのは、アメリカのコンピュータ業界では最大手の会長で、パートナーの女性は、確か女優だったかな……」
「綺麗なひとだよなあ……」
「うん、来年のハリウッドでたぶんナンバーワンになれるだろうって話だよ。さっきの会長の最新の愛人だってもっぱら評判だけど、あのステップじゃあっけなく振られそうだな」
「え、どっちが?」
 ゴシップに疎く、かつステップの切れも見抜けない俺は間抜けなことを聞いてしまう。
「もちろん、会長のほう」
 目の端で笑った和希が顎をしゃくる。
「あっちはいまイタリアで人気の宝石デザイナーで、一緒にいるのがヨーロッパを代表するインテリアデザイナー、その隣は――」
 ソファで縮こまっている俺に、和希は広々としたフロアで踊るハイソサエティなひとびとについて、あれこれと説明してくれる。


 でもさ、そんなもの聞いたって、俺の人生にはなんの関係もないんだってば。
 だって俺は平凡な学生だ。たまたま運がいいから、あの学園に入ることができて、おまけに和希も恋人になっちゃったけど。
 不釣り合いな場所に、窮屈なタキシード。ふっとタイを引っ張って息を吸い込むと、ひとりの女性がなめらかな仕草で和希に近づき、話しかけている。
 どうやらふたりは知り合いのようだ。なごやかなムードで話し、笑い合ったあと、女性のほうから和希をダンスに誘ってきた。
「……啓太、ちょっと空けていいか?」
 申し訳なさそうな顔に、俺は急いで首を横に振る。
「いいよ。行ってこいよ。俺はここで休んでる」
「ごめんなさい。ちょっとだけ彼をお借りしますね」
 和希よりも年上のひとに美しく微笑まれ、俺もぺこりと頭を下げた。
 手に手を取ってフロアの中央に歩み出るふたりに、周囲のひとびとが場所を空ける。
 息の合ったステップで踊り出す彼らを眺めながら、俺はさっきもらったカルヴァドスを一口含んだ。
 うん、おいしい。ちょっと強めだけど、爽やかなりんごの味が癖になりそうだ。
 それにしても、……和希ってほんとうに上流社会の人間なんだよなあ。


 ろくなステップひとつ知らない俺から見ても、見事なリードだ。女性のほうも、きっとどこかのお嬢様なんだろうな。真っ白な床をすべるような足取りは見惚れてしまうほどのもの。
 あっさりと一曲踊り終え、拍手喝采を浴びて戻ってきた和希は、もちろん汗ひとつかいていない。すとんと隣に腰を下ろし、手首を振ってメタリックな時計を揺らす。
「啓太も踊ってこいよ。せっかくのパーティなんだし。誰か適当な相手を探してやろうか? みんな、さっきからおまえのことが気になってるみたいだよ」
「いいよ、俺は……」
 曖昧に手を振って、カルヴァドスをもう一口。フロアではさっきの女性が、別のパートナーと踊っている。あんなステップ、俺にはとてもできない。やろうと意気込んだところで、うっかり足をつるっとすべらせてしまうのがオチだ。
『年末にパーティがあるから、来いよ』
 そう誘われてのこのこ来た俺がバカだった。


 和希が誘ってきたのは、友だちうちで気兼ねなく鍋をつついたり、クラッカーを鳴らしたりするようなもんじゃない。
 邸宅というのがふさわしい彼の家を開放し、大広間に集うのは鈴菱グループのトップがじきじきに招いたそうそうたるメンバーだ。
 国内外に広くその名を知られる大企業の年末パーティに呼ばれた一般人は、たぶん俺だけ。
 普段は学園で一緒に過ごしているからわからないけれど、ここに来て、あらためて和希の立場の大きさがずしりと胸にくる。
 フロアに咲くのは、手入れのいい赤や白、ピンクに青に黄色の花々。そこに黒い蝶がふわりとおりてきて、つかのまの恋を誘いにやってくる。
 和希って、あっち側の人間なんだよな……。
 常識で考えても、絶対にこっち側に収まるような奴じゃない。
 こんなとき、遠いなと思う。違うんだな、と落ち込みたくなるんだ。俺と和希がいる世界の違いについて。
「こら啓太。そうやっていつまでも壁の花になってるつもりか?」
 自分でもくだらないとわかっている物思いを破るのは、いつだって冗談めかした和希の声だ。
「踊ったことがないのか」
「そんなものないよ。学校でフォークダンスしかやったことない。……そういう和希は、いつからダンスの経験があるんだ?」
「うーん、いつだっけかな……十歳にニューヨークで、いや九歳のときのロンドンで……いや待てよ、その前に七歳のパリで……」
 しかめ面をしながらどんどん記憶をさかのぼっていく奴に、またもため息がこぼれる。


 わかっているつもりでも、俺の知らない華やかさに彩られた過去がたくさんあるっていうのはやっぱりつらいよ。
 突然、和希がすっと立ち上がり、俺に向かって手を差し出してきた。
「それなら啓太、俺と踊ろう」
「……え?」
 そのときの俺、きっと目玉をぽろっと落としそうなほど見開いていたに違いない。
 和希はたいていの場合において俺を驚かせるけれど、このときだってそうだった。
「まだ踊ったことがないんだろう? 俺が教えてやるからさ。社交界デビューといこうじゃないか」
「いこうじゃないか、って……なに言ってんだよ、男同士で踊るなんて――おい、和希! ひとの話を聞けよ! 腕を引っ張るなー!」
 つるつるすべる床を踏みしめて堪えるのも空しい抵抗だ。
 あっというまにフロアの中央に引っ張り出され、周囲の視線が一気に集中する。
 好奇心たっぷりな視線にいたたまれず、カッと頬が熱くなってくる。


「ほら啓太、手」
「……和希!」
 正式なワルツのスタイルを無理矢理取らされた俺にできることといえば、間近で笑う男の顔を睨むぐらいだ。
 すぐにも曲が始まり、和希のリードにうながされ、身体がふわりと浮く。
 瞬間、あたりの景色が回り始める。
 これって、メリーゴーランドに乗っているときと同じような感覚だ。回る回る、くるくる回る。
「肩の力を抜いて、うん……いい、筋がいいな。曲を聴いて踊りたい気分に身体をゆだねればいいんだ。そう、……そうだ、あ、右足はうしろにして」
 耳元で囁かれ、必死にステップを踏む俺の視界は、だんだんとまぶしくきらきらしたもので埋まっていく。
 女性たちの胸元や手元、髪を飾る宝石がひかりを弾き、すべてのものをかがやかせ、そして跳ね飛ぶ。
 磨き抜かれたグラスにテーブルを彩る灯り。いくつもの暖かなきらめきに、楽しげな笑い声がくるくる回る景色にとけてなじんでいく。
 ぴしりとした黒のタキシードを身につけた男がふたり、手に手を取って踊る光景を傍から見たら、きっときちがい沙汰だ。


 くるりと回るたびに髪の先が跳ね、革靴が床を鳴らす。ジャケットの長い裾をひるがえし、切れ味のいいターンを決める和希の匂いを吸い込んでいるうちに――楽しくなってくる。わくわくしてきた。
 まさしく、目が回るような酩酊感だ。巧みなリードのおかげで、足をすべらせることもなければ、ひっくり返って頭を打つこともない。
「楽しいだろ?」
「うん……思ってたよりは。和希のリードが巧いからだよ」
「そんなことない、おまえの筋がいいからさ」
 ひとのいい笑顔で和希が言う。
 握った手のひらからは優しい熱が伝わってくる。


「それにこの先、俺のパートナーとして一緒にいてくれるなら、ダンスのひとつやふたつはこなせたほうがいい。学園を卒業したら、ヨーロッパを拠点にして動くつもりだし」
「……それ、俺も一緒なのか?」
「当たり前だろ? 俺をひとりにするつもりか?」
 目を丸くする彼は、俺がノーと言う可能性をまったくもって考えちゃいないみたいだ。
 こいつらしいよ、ホントに。思わず苦笑いしてしまう。
 腕を伸ばしてくるりと回った直後、抱き留められるのがワルツとしては正しいものだったとしても。すぐ隣で踊っている男女と目が合った瞬間、お互いに笑ってしまった。
 俺も可笑しくてたまらなかった。
 なんで俺と和希、踊ってるんだろう。いくらパーティだからって、ちょっとやりすぎだよな。
 くすくす笑いながら言うと、彼も眉を跳ね上げて笑う。


「そう? いいじゃないか。だいたい、男同士だってことを変に思うなら――」
 いきなり、腰をぐっと引き寄せられた。
「俺と啓太がいつもしていることはどうなるんだ?」
「いつも、って……」
 ごくりと喉を鳴らし、俺はおそるおそる顔を上げる。
 至近距離できらめく和希の目に、ヤバイという気分が急速にふくれ上がってくる。ああ、ほんとうにこういう目をしているときの和希はヤバイんだって。
「いつも啓太にキスしたり、触れたりしてること、ああいうのはどうなんだ? あれも変なことになるのか?」
「……和希……!」
 周囲を気遣って声をひそめたけれど、一度点火した奴を止めることなんかできないって、俺自身がいちばんよく知っている。
 ノーブルな顔立ちをしている男はにこにこと笑いながら、とんでもないことを平然と口にするんだ。
 あの、深みのある優しい声で。


「啓太を抱きたい。いますぐ全部脱がして、あそこを舐めたい。……俺がそう言っただけでもう割れ目から先走りがあふれてぬるぬるになってるんじゃないのか? 乳首も勃ってそうだし。硬くしこってるそこをさ、爪で引っかくと気持ちいいんだよな。ちょっと咬んだだけで射精しちゃうぐらいに感じやすくなっただろ。最近のおまえ、我慢が利かなくて可愛いんだよ。恥ずかしい言葉をたくさん言わせたくなる」
「ばか、やろう、おまえ……」
 ぜいぜいと喘ぐ俺の声も無視して、和希はふわりと回りながら歌うように続ける。
「いやらしいんだよな、おまえってさ……。俺に挿れられてるあいだも勃ちっぱなしなんだよ。薄い毛もびしょびしょにするぐらい濡れるところも、可愛い。ねえ、いつも俺に絡みついて離さないのは啓太のほうだよ? 俺が抜こうとすると、いつもおまえのほうからぎゅって締めつけてくるんだよな。あれがたまらなく気持ちよくて――何度もおまえとしたくなるんだ。いまもそう。こうやって踊ってても、俺は啓太をめちゃくちゃにしたくなってきてどうしようもないよ。おまえのこと考えるだけで、ほら」
 ステップを踏むことで離れていた身体を強く引きつけられた瞬間、硬いものが太腿のあたりにさっと触れる。


「勃ってるの、わかるだろ?」
「かずき……」
 いまや身体をぴたりと合わせているから、他人の目に触れることはない昂まっている和希のそこが擦りつけられる。
 見た目だけなら、たぶん、ジャケットの長い裾でうまく隠せるかもしれないけれど――感触はだめだ。間違いようもない。
「……啓太はどう? 俺が欲しくない? 挿れてほしいだろ? 何度でもイカせてほしくてたまらないんじゃないのか? ……別の部屋に行って、しようよ。いますぐ。おまえに俺のものをしゃぶらせたいんだ。思う存分舐め回させたら、顔に出したい。ぐしゃぐしゃに汚してもいいよな? そのぶん、俺はおまえのことをもっと感じさせるよ。約束する。啓太がいやだって泣いても喚いても抱いてやるから」
 微笑む和希の声には、軽い興奮が入り混じっている。
「俺は啓太が欲しい。したくてしたくて気が狂いそう」


 そこまで言われてしまえば、理性はあっけなく星の彼方だ。
 常識なんか、もう二度と戻ってくるな。和希を相手に選んだ時点で、清く正しい世界とはおさらばだ。
 ふらりと足下をすくわれるような眩暈を感じて和希に倒れ込むと、「大丈夫か?」と案じる声が聞こえる。
 それから、肩に手を回され、またも引きずられていく。
「悪いな。彼の具合がちょっと悪いんだ。奥の部屋で休ませてくる」
 ……誰に断っているんだか知らないが、友人の具合を心配するにしちゃ、和希、おまえ――声がうきうきしすぎなんだよ。この、バカ。



 広間からそう離れていない客室の扉を閉めるやいなや、立ったままくちづけられた。強く強く抱き締められて、扉に押しつけられる。
「――んっ、ん、……ん……っ」
 強引に割り入ってこようとする舌に負けてくちびるをかすかに開くと、「そうそう、素直になるのがいい」と笑い声が聞こえる。
 くそ、こいつ、俺のことからかってるよな。絶対に。
 だけど、目と鼻の先で火花がぱちりと散るような壮絶な艶の混じった視線に射抜かれてしまえば、この先に起こることを嫌でも期待してしまうんだ。


 整った顔でいちばん印象的なのは、優しさと涼やかさを感じさせる切れ長の目だ。もし、この表情が一転して普段とまったく違う顔を見せていたなら、はっきりした二面性を持つ男として、俺はもっと早くに彼を遠ざけていたのかもしれない。
 だけど、和希はそうじゃないんだ。
 あくまでも表情はひとつ。こころもひとつで、彼を根底から支える常識だってひとつしかない。だから、さっきみたいな場所であんなことを突然言い出すのも、和希にとっちゃいたって普通のことなんだ。


「かずき、ちょっと待てよ、……ここで、やるのかよ……っ」
 ぐいぐいと身体を押しつけてくる和希は笑ったまま、俺のそこをスーツの上から撫で回してくる。
 勃ってるそこの根元を掴み、つうっと下から上に向かって形をなぞり出す指の動きに、膝ががくがく震えだしてくる。
「だめだ、って……和希、ここじゃ……!」
「スーツを汚してもいいから、俺に感じる顔を見せて。啓太の泣きそうな顔が見たい」
「やだって、おい……っ、ぁ、ぁ、っ……!」


 和希に借りたスーツを汚すわけにはいかない。必死に堪えているのに、和希はますます淫猥な仕草で俺を追いつめる。
 耳朶をねっとりと舐め回し、「イッちゃえよ。……おまえのことだから、俺に借りたスーツを汚したくないって思ってるんだろう? そういうはしたない自分を見せたくないって、思ってるんだよな。でもね」と囁いて、ゆるくしごいてくる。
「俺はそういう啓太が見たい。俺の前ではもっといやらしくなってほしいんだよ。我慢できずにスーツを汚しちゃうぐらいさ」
「……あ、っ……!」
 蠱惑的な声が鼓膜にすべり込んできた瞬間、どうしようもない痺れに襲われて、俺は服を着たまま達してしまった。
「ああ、――あ、――あ、あ、」
 スラックスの内側、トランクスを濡らしてたらたらとこぼれ落ちる精液のぬるつきに、涙がにじんでくる。
「……いけない子だよな、啓太は。ほんとうに我慢が利かなくて」


 くすりと笑う声に意識はゆるやかに回り出し、どこか俺の知らないところへとスピンアウトしていく。
 頬にいくつものキスをしてくれる男にすがりつくのが、いまの俺にできることの精一杯だ。
「かずきの……せいじゃない、か、……俺、やめてって、言ったのに……」
「うん、そうだよな。確かに言ったよな。俺が悪かったよ。ごめんな」
 ぐずぐずと泣き言を――普段の自分から考えたら背筋が寒くなるような甘えたことをぬかす俺に、天井の灯りを受けて翳る和希が笑いかけてくる。


「じゃ、どうしてほしい? スーツを汚しちゃったお詫びに、なにかしてほしいだろ?」
「……舐めて、よ……」
 いま口にしたことを、俺は後悔するつもりはないぞ。ちっともないぞ。
「だめなんだ、……さっきから、もう、おかしくなりそうで……和希、お願いだから、舐めてよ……」
 焦れる指先ですがりつくと、和希はほんの少し目を瞠る。
「……おまえにそんなことを言われると、俺のほうがおかしくなる」
 それから床にひざまずき、俺のジッパーを口でくわえ、ジリジリと下ろしていく。そのあいだ、目と目は合わせたままだ。
 和希の上の歯と下の歯に挟まれた、ちいさい銀色のジッパー。


 さっき達したばかりなのに、また硬くなっている俺のペニスを引きずり出して、和希は大きく舌をのぞかせる。
「べたべたになってる。全部舐めてほしいか?」
「ん、ん……っぁ、――あ……っ!」
 答える前に、奥深くまでくわえ込まれた。
 もう、腰が抜けそうだ。扉にもたれて身体を支えるのがやっとだ。
 磨き抜かれた床に、俺たちふたりぶんの影が映る。和希の淫らな舌遣いも部屋中に響き渡る。じゅぷっ、じゅるっ――、絶え間ない音が恥ずかしくて、ふと瞼を開いてみると、俺のペニスを舐めあげている和希ともろに目が合った。
 そのとたん、和希がにやりと笑う。
 艶と凄みの入り混じる笑顔に声も出なくて、眩暈すら感じる。


 だめだ、もう俺、ほんとうにこいつに惹かれてる。好きすぎてたまらない。
 立ち上がった彼に手を引かれ、ふかふかのベッドに横たわる。ジャケットを脱ぎ捨てた和希も靴を履いたままベッドに上がってきて、「ここから先は啓太が好きにしてみなよ」と言う。
「たまにはおまえがリードしてみて」
「俺、が……」
「そう。啓太は俺のことが好きか?」
「好き、……好き、好きだよ……和希のこと、好きだよ……」
 和希にまたがり、端正な顔を見つめているうちに胸がいっぱいになってくる。


 そうだよ。そうなんだよ。たとえいきなり変なことを言い出す奴でも、俺は和希が好きなんだ。なにも知らない俺にたくさんのことを教えてくれる親切な和希。ずっと昔から、俺のそばにいてくれたんだよな。
 鈴菱グループのトップじゃなくても、好きなんだよ。
 王子でも乞食でも、俺はおまえが好き。
 熱っぽい声でそう告げると、和希は嬉しそうに微笑み、俺の腰を掴んでくる。
「……そう言ってくれるのは啓太、おまえだけだよ。そういうおまえに俺はずっと愛されたいんだ」
「和希……」
 真っ白なシャツが目にもまぶしい男の立場は、凡人の俺には一生手に届きそうもない星と似ている。
 だけど、運命って不思議だよな。なんのめぐり合わせか、和希と俺はいま同じ場所にいて、同じ男なのに恋人同士だ。
 同性に恋することが変だというひとは、きっとたくさんいるんだろうな。
 でも、いいんだ。俺はしあわせだし、和希もきっとそう思ってくれてる。
 汗ですべる指でボタンをはずし、強靱な筋肉を張り巡らせた平らな胸に、そっとくちづけていく。いつも和希が俺にそうしてくれるように。


「……啓太」
 つたない愛撫だけど、感じてくれればいいなと思う。
 和希の首筋から鎖骨、胸にかけてのラインはことのほか綺麗だ。硬い骨に支えられ、なめらかな皮膚に覆われている身体の奥底には、火傷しそうな熱をひそませている。
 とびきり品がよくて、だけど尖った牙もひそかに持ち合わせている極上の男だ。俺にはほんとうに、もったいないぐらいの。
 口内に溜まる唾を飲み込んで、スラックスからシャツを引きずり出し、ジッパーを下ろした。
 なにもかも半端に脱がせたままのほうが、和希のエロティックさは強くにじみ出すんだ。硬いエッジがゆるくとけたら、内側からあざやかな色が次々にあふれだして目が離せない――そんな感じなんだ。


「言うな、おまえも結構」
 硬い毛に覆われたそこに顔を寄せたとき、和希がわずかに息を途切れさせる。
 両手でペニスを握り、尖らせた舌先でつついたり、舐ったり。口いっぱいに頬張って、音を立ててしゃぶると、和希の眉がきつくひそめられる。
「いい……? 和希、気持ちいい?」
「……ん、……」
 額に汗を浮かべた男の気怠い熱をはらんだ声が、俺に火を点ける。
 いつも追いつめられているのは俺のほうだけど、今日はちょっと調子に乗ってみたい。
「啓太……?」
 止められる前にスラックスを脱ぎ捨てて和希の身体に馬乗りになり、ひくつく自分のそこに、彼のものをあてがった。
 俺がなにをしたいのか、すぐにわかったんだろう。
「……無理するなよ」
 そういう和希の声も興奮にうわずっている。


 自分から和希を受け入れるのなんて初めてだから、あれこれと迷ってしまう。
「もうちょっと力抜いて、……そう、ゆっくりでいいから……少しずつ……痛いか?」
「ん、ん……っ……」
 きつく窄まるそこを押し拡げるようにして、硬く熱いものがゆっくりと挿ってくる。
「あ――、あ……ぁ、あぁっ……!」
 全部挿った、というところで、俺はばたりと和希の胸に倒れ込んだ。
「だめだ……なんか、……俺……」
「うん?」
「もう、イキそう……」
 情けないことを言う俺に、和希はさも可笑しそうに笑う。
 そして、少しだけ腰を揺らしてくる。


「もうちょっと我慢して。……もう少しだけ」
「んんっ、う……ぁ、あぁ……っあぁ……」
 俺のなかで、ぐんと嵩を増す熱に、早くも気を失いそうだ。
「和希――かずき……もっと、してよ……このまんまじゃ俺、もう……」
 鋭く、生々しく。身体の内側を食い荒らす熱に、意識も朦朧としてくる。すると、とっさに和希が跳ね起きて俺の頬を掴んできた。
「おまえから乗ったくせに、いまのはルール違反だぞ、啓太。……おまえはほんとうに可愛すぎる。俺を駄目にする気か?」
 うっとりとした調子で呟いた和希に押し倒され、シャツもシーツもぐしゃぐしゃになっていく。髪をすく指先さえもきわどくて、角度を変えて突き上げられるたびに、俺は涙混じりに喘いだ。


 俺がそばにいることで、おまえの人生を台無しにするなんてことがあったら、きっと悔やんでも悔やみきれないよ。
 でも、でも。和希は笑って言うんだ。
 誰よりも優しくて気が利いて、ちょっと変なところはあるけれど、大企業を切り回す才能に恵まれている彼は、俺のいちばん好きな笑顔でキスしてくれる。そして、囁いてくれる。
「俺を駄目にしてくれよ、啓太。おまえが相手なら本望だ」


 俺もだよ、和希。俺も和希が大好きだ。
 この想いは、何度も何度も達する声に埋めて伝えることにするよ。おまえの背中に爪を立てることで、伝えるよ。
 理性もなにもかもショートして、駄目になるぐらい。いつでもどこでも欲しくなるぐらい、おまえのことが好きなんだ。


 もう止まれない。誰になにを言われても止まってやるものか。
 おまえを欲しいと想う気持ちは、俺を振り回し、背を強く押した挙げ句に、常識の通用しない世界の果てに吹き飛ばしてしまう。
 だけど、わかってるんだ。俺はおまえに向かって駆け出していて、和希、おまえもきっとそうなんだよな? 
 そして、その気持ちは、最後にはきまっていつも俺たちを目一杯しあわせにしてくれるんだ。